2014年7月26日土曜日

『落車記念日』

ボクが自転車から落ちたから、7月6日は『落車記念日』・・・文字を当てはめただけの、まんま俵万智のパクリですね。

・・・不覚ッ!!

ボクの同級生に“疫病神”候なのが一名おります・・・会うとホントに嫌な雰囲気が拭えず、気分も悪いまま・・・体調も崩れて、風邪を拗らせる。

スゴイな(・・・てか、恐ろしい)と思うのは、その神的な“負の気”が、自分だけでナク、自分の周囲へも伝染するコトです・・・偶然と思いたいですが、前の車がオカマ掘ったり、交差点で追突されたり・・・先日、友人の車もぶつけられた。

兎に角、バンバン事故が発生します・・・

そいつに会ってしまってから、イイコトはナイ・・・悪いコトは山ほど起こる・・・もうそいつには、今後、死ぬまで会いたくないです。

今、一番したいコト・・・御払いしたい。

ご報告が遅くなりましたが、自転車で事故りました・・・

7月6日にらっせい美郷まで行った帰りに、帰宅まであと1kmほどのトコロで事故ってしまった。

道が狭くなっておるトコロで、逃げ場はナシ・・・対向車を待っている車の後部に追突する形で・・・車のボディーは、一応、鉄で囲ってあるワケで・・・あえなく弾き飛ばされ、敗戦。

・・・アスファルトの上に叩きのめされました。

自転車の破損個所・・・ヒビがぐるっと入ってます

カーボン・シートを上から貼って、直します・・・キレイになっちゃいます。

修理の出費は、福沢さんが5枚・・・痛すぎッ!!

自転車は奇跡的に写真の箇所のみ、壊れました・・・タイヤもパンクして無ければ、ホイールもグニャっとなってません。

病院から帰って来て、回してみたら、フツーにクルクル回ってました。

肝心の自分の身体は、肩甲骨にヒビが二か所・・・あとCTで確認したワケではナイですが、左腕付近の肋骨もイッてるモノと想われます・・・其の周辺の筋肉と靭帯も傷付いてるので、左腕の可動範囲が限定されます。

笑うと、胸に激痛が走ります・・・

・・・三週間ほど経過してますので、もうそれ程でもナイです。

アバラなどの軟骨は、造影剤でも飲まない限り写らないみたいです・・・そう謂う説明を受けた・・・ホントかな?!

一時は寝返りが打てずに寝るのに苦労してましたが、医者曰く「ナニもするコトがナイ」そうなので・・・病院に担ぎ込まれても、シップと痛み止を処方されたのみ。

仕方ナイですが、ガッカリです・・・面倒臭そうな対応・・・被害妄想か?!

・・・軽かったってコトかな?!

知識の実践として・・・事故後の診察代は、健康保険が使えます・・・自由診療ではナイ・・・そもそも自由診療にする病院は、『交通事故に関わる診療は、健康保険が使えない』という“都市伝説”を利用した、病院側の勝手な解釈です。

あと、処方された痛み止は『ロキソニン』でした・・・生理薬じゃん?!

2014年7月10日木曜日

沖縄で食事をする

沖縄旅行に連れていかれてから、全く食事の予定が決まってナイのを知らされた・・・まぁ、一応、国内だしぃ・・・最悪、コンビニ弁当でも構わない。

・・・そもそも、期待してナイ。

それぐらい、私めの頭の中では“沖縄料理のイメージ”は宜しくなかった。

沖縄での初めてのお食事タイムは、道の駅に併設されたスーパーの食堂だった・・・ネイティブのオバちゃんが料理を作っている。

感覚としては、豚肉の代わりにスパムが入っておる・・・

・・・野菜炒めにも、ソーキそばにも、焼そばにも入っておる。

・・・昼飯の前にもう一杯、引っ掛けておる方も

ワシらが喰っておるその横で、スーパーのレジに長蛇の列・・・マンゴー箱買い・・・年末のミカンぐらいある。

テッキリ地元の人が買ってるもんだと思って珍しそうに見ておったら、ほぼ観光客が沖縄に到着するなり押寄せて、本土に送るのだと教えてもらった。

・・・ちなみに、沖縄のヒトはそんなに食べないらしい。

圧巻の景色・・・写真では伝わらないだろう

そう謂えば、福岡のヒトもソンナに明太子は食べないらしい・・・多治見でも、あんなにウナギを宣伝してるが、今年はまだ食べてナイ。

沖縄限定のポテチ・・・味は、すっぱムーチョ

いろいろ予定をこなして、壷屋焼の理事長さんや組合の方々に市場を案内して頂いた・・・一応、県庁所在地なので、人がイッパイ・・・活気がある。

夕飯の予定も決めてもらった・・・

・・・観光客でイッパイ?!

南国フルーツとスパム

活け団扇エビ・・・と伊勢海老

・・・グロッ!!

完全に食が違う・・・しかし試食で貰ったテビチーのベーコンは美味しかった。

虹色の熱帯魚

海蛇がブラ下がっておる・・・

やっぱり観光客でイッパイ

南国の雰囲気

湿気が凄かった・・・いつもコンナだと思ったら、沖縄のヒトが「最近の暑さには参った・・・普段はもっと乾いておる」と、沖縄訛で話してくれた。

・・・沖縄の言葉は、絶対に解らない。

散策も終わって、交流会に突入・・・沖縄料理で歓待して頂きました・・・沖縄の方は、本当に楽しそうに話される。

・・・沖縄の方々はモテナシ上手だ

交流会だが、完全にアウェーだ・・・勢いはホームにある・・・歌うは、喋るは仕切られるは・・・押されっぱなしだ。

・・・盛り上がらんよりはイイか?!

沖縄の方のホスピタリティーは、素晴しい・・・毎度、コンナかなぁ・・・有難いが、ちょっと怖い。

想像していたのと違って、意外と何でも食べられる・・・不味くナイ・・・ハブが居るから絶対しないが、もし移住しても、たぶん大丈夫だ。

写真は150枚超、撮った・・・

『沖縄紀行』・・・続けられなくはナイが、コレにてオシマイ。

2014年7月5日土曜日

『首里城』・・・城攻め、再び

二泊三日の沖縄旅行も最終日・・・夜は暑さと湿気で、クーラーが無いと眠れなくて・・・身体がダルイ。

城攻めにはツキモノの階段登りが、そろそろキツイ・・・

・・・汗が止まらず、やっぱりクーラーのあるトコロに急ぐ。

坂を上り始めるとスグ『守禮之門』があるんですが、記念撮影スポットと化し、大声の中国人がヤタラ多い・・・それとも、台湾の方かな?!

・・・台湾の方は、許す。

しかし、余りにも邪魔に感じたので、写真を撮るのはヤメた。

造形としての『守禮之門』を御存じない方は、ウェブ上で検索してお楽しみください・・・もしくは、二千円札でも眺めといて下さい。

城の最初の守備門『歓会門』

階段を上ると『瑞泉門』

沖縄の鯱鉾・左側

中央の花の彫刻

鯱鉾・右側

此れより先は“有料スペース”となりまして、入場券を購入し入るや否や、雨が降ってきた・・・展示スペースに逃げる。

首里城正殿前広場『御庭』

展示スペースは“撮影禁止エリア”とされておりまして・・・一応、説明を致しますと、尚氏沖縄時代の古文書(歴史書・外交文書など)や古地図・・・白黒写真が多数、展示されておりました。

正殿内の謁見の間

地政学的に近い強国の影響は、仕方ないデスね・・・

・・・歴史的にも市民に残る感情も、日本(薩摩)は、侵略者デス。

朱赤やキンキラ展示品や正殿の造りは、完全に中国の影響下にあった事を証明しております・・・尚氏沖縄の歴代皇帝の肖像画は、台湾・故宮で観た中国皇帝の肖像画と瓜二つでした。

玉座はピンボケですねぇ・・・

正殿の正面、近影

正殿・破風内の装飾

大龍柱・阿形

大龍柱・吽形

子持ちシーサー

帰路の石畳

他県から来た日本人は、ほぼ「沖縄ッて、東南アジア(・・・もしくは、亜熱帯)だなぁ・・・」と感じるコトでしょう・・・流石の蒸暑さです。

お城の井戸・・・石灰岩の影響なのか、青い

観光拠点としての『首里城』は整備が行届いておりまして善いのですが、観光地化され過ぎてて、ナンだかザワザしてます・・・中華系の観光客のせいだね。

同じ感慨を台湾の故宮でも持ちました・・・

・・・中国人は、喋ってナイと死んでしまうのか?!

中国人が押寄せる前の台湾・故宮は、落着いておりました・・・何処も中国人が来ると、荒れますね。

・・・“経済”と“静寂”の二択です。

規模は小さいですが、那覇市外に点在するグスク(城)の方が、私めは好きです・・・クーラーは無いけどね。

・・・あと、ハブに注意ッ!!

『沖縄紀行』・・・もうチョッと、つづく。

2014年7月3日木曜日

『治外法権』の地に降立つ

・・・みなさんの印象としての『沖縄』は、どんなモンでしょう?!

私めは、『基地の島』でありました・・・実際、来て感じたコトは、想像以上に基地以外の米軍施設(住宅や病院など)が至る所にあります。

日本側からは其の全てに高い柵が設けられ、其の中で働く以外には、隔絶されております。

其れに反して、米軍からは然程でも無さそうな印象・・・基本、出入り自由。

・・・コノ差は、何なんでしょう?!

多少、身にツマサレつつも、日程が合ってしまったので・・・其の“治外法権の中”に入れてもらうコトとしました・・・パスポートは不必要の特別な日『AMERICA FEST』・・・所謂、“一般開放日”です。

怪しいと、自動小銃でホントに撃たれますッ!!

・・・が、ヤッパリ警備は其れなりデス。

マイクロバスで検問所に至ったワケですが、全員バスを下され、軍用犬のシェパード君がバスの中をクンクンして・・・その様子を、私共は後ろ向きになって感じながら待っておりました。

一番のトバッチリは、運転手さんだなぁ・・・そもそもバスから降りて見学しないし、バスで待機してただけだからね。

・・・で、入るや否や、スコールの土砂降り状態で、足元ベタベタ。

滑走路の上には、遠くに簡易テントが有りますが、其処まで行くのがしんどいぐらい離れてます。

結構、水が浮いてます

スコールはすぐに止んで、見学開始・・・まず目についた消防車を撮影・・・空港なので、有るモノが全てデカイッ!!

消防車①側面

消防車①正面

消防車②&消防車(奥)③

消防車③エンブレム

目に入れば、どうしてもソソラレル・・・哨戒機・・・もう見学の列が伸びてます。

写真なので判らないですねぇ・・・お皿が回ってます・・・展示だけにも拘らず、サービスしてくれてます。

かっちょイイ・・・

哨戒機の正面

他の見学を捨てて、長蛇の列に並びました・・・待つコト1時間半超・・・中に入る頃には、クタビレ果てて、ドウでもヨクなってきた。

タダの意地っ張り・・・

・・・今となっては、ちょっと時間の使い方を間違えた気がします。

哨戒機のコックピット

PCを熱から守るために、凍らせるほどエアコンを焚いておる図

輸送機

輸送機の後方・・・意外と狭い

ハマーは何故か砂漠仕様

まぁ・・・並んでる最中にひと悶着ヤリまして、後味はヨクナイですが・・・たぶん“一生に一度の経験”になると想うので、来たコトには後悔はナイ。

あぁ・・・やっぱ、オスプレイは観ておくべきだったね。

狭いハズの沖縄に・・・広大です

基地への印象は変わりませんが、図らずも、自分は此の恩恵を授かっておるのだと解ります・・・アメリカの兵隊さんも、今日ばかりは陽気なニイちゃん達にしか見えませんでした。

此の島に住む全ての人(沖縄の方も、アメリカの方も・・・)に、不安は有れど、害の及ぶ事が無ければ、此れ、即ち『平和』・・・ナノデス。

いろいろ問題もあるし、其の改善策がスグ見付かるワケではナイですが・・・

・・・どんなモノなのかを知るコトは、大切ではないでしょうか?!

少しでも善い方向に向かう事を、切に願います。

『沖縄紀行』・・・まだまだ、つづく。

2014年7月2日水曜日

壷屋&読谷・・・沖縄の『窯焼事情』

沖縄に初上陸してスグ、中城城を汗だくで撤退・・・そこから壷屋焼組合の製土工場に御邪魔した。

見学と謂えば、見学・・・偵察と謂えば、そうも採れる。

他県の同業者からすれば、かなり行政からの支援が厚い・・・そう感じざるを得ない・・・いろんな名目で補助金が下りて来る印象を受ける。

羨ましくて、指を咥えてしまいそうだ・・・

・・・我ながら、賤しい人間だネェ~。

壷屋焼の特大シーサー

那覇市内の中心地に、壷屋焼の組合事務所がある・・・その周辺が、所謂『壺屋焼』の発祥地で、窯元の直販店が建ち並ぶ。

シーサーがイッパイある・・・趣もあって、雰囲気もヨイ。

組合の理事長さんに事務所の二階に通され、暫し歓談・・・「沖縄には『陶器商』はほぼ存在しない・・・お土産の業者さんぐらい」・・・また「ほぼ、直販・・・観光客が、窯元の販売店まで買いに来てくれる」など仰られた。

・・・また指を咥えてしまいそうだ。

産地として、此の状況を真似する環境整備は、我が方には不可能に近い。

翌日、読谷村の陶芸村『やちむんの里』を訪問する・・・何故か、最初にガラス工房が現れる。

夏は死にそうだなぁ・・・

ガラス工房の隣が、理事長さんの陶器工房・・・訪問したら理事長さんが不在で、隣接のギャラリーを視察・・・羨ましい。

待ってる間も観光客が、続々とやって来る・・・

・・・理事長さん登場後、工房内を見学させて頂いた。

広い工房・・・

職人さんが8名・・・ギャラリーの販売員が3名(常勤では無いと想われる)・・・手作り工房としては、たいへん立派な規模だ。

・・・シーサーが並ぶ

成形途中・・・耳がナイと、ヘルメットみたいだ

ダレぞが「蹴ロクロを見せてくれ」と理事長さんに頼んだら、快諾して下さった・・・此の方のホスピタリティーは、恐ろしいほどだ。

ご無理、言いました・・・申し訳ナイ

その後、理事長さんにロクロを挽けと頼んだダレぞが「自分も挽いてみたい」といって、やり始めた・・・

全然、挽けてねぇ・・・そんな簡単に出来るワケがナイよね?!

コイツ(ダレぞ)は年がら年中、講釈ばかりで見苦しい。

ねこ・・・コノあと、逃げられた

読谷村では、皆で焚く所謂『共同窯』が3つある・・・掟として「3つの共同窯のウチ、1つに属していないといけない」らしい・・・欠員がナイと、移住は出来ない・・・基本、村からの借地で、賃料は格安ッ!!

組合の形態が、かなり違う・・・此の地では、仕事を勝手に始められない。

・・・ワシらの組合では“利権”を感じないが、外の組合には感じてしまう。

理事長さんが属する『次郎窯』へ案内して頂いた・・・

わかり難いが、かなり大きい・・・

窯元に割り振られた部屋

各窯元に割り振られた部屋部屋の中・・・2㎥程度か?!

見学してたら、窯の㎥単価を訊きたくなった・・・賤しいなぁ。

隣の窯『読谷山窯』も、連房式の登り窯・・・立派な瓦屋根付き・・・台風の通り道だから、当然だ。

・・・アノ大きな人が、普通に見える

柱の数だけ部屋がある

エンゴロも壷屋焼・・・熱には、弱い

丸太だが、コレで焚くらしい

最後の3つ目『北窯』・・・コレも連房式で、年に4回も焚くらしい・・・ペース、早っ!!

・・・そんなコトしたら、睡眠不足で死んでしまう。

理事長さん・・・怖いぐらい、親切

そういえば、理事長さんの工房で『パッションフルーツ』を御馳走になった・・・人生で初めて食べた。

・・・コンナ“南国フルーツ”が、フツーに庭に生っておる。

すっぱくて、美味しい

此の地を視察して、正直に感じたままを言葉にする・・・指を咥えるどころではナイ・・・此の地の窯焼は、私めからは『セレブ』にみえた。

ほぼ商人を相手にするコトは無く、作っただけ売れる・・・しかも、お客が買いに来てくれる。

夢の現金収入・・・左手に団扇。

・・・でも、生活してると、ハブがいそうで怖い。

『沖縄紀行』・・・まだ、つづく。