2015年4月30日木曜日

感じた事、想う処

まぁ・・・選挙も終了いたしまして、また静かな街に戻りました。

ちょっと時間も経って頭も冷えたトコロで、感じた事や想う処を書いてみたいと思います。

今回、地元に若い新人候補者が立って、初めて其れを推す形をとり、選挙活動を裏方としてお手伝いしたワケですが、コレが結構ヤキモキする・・・地元の声も気になる・・・活動の進捗も気になる・・・選対内の纏りも気になる・・・意識する対抗馬も気になる・・・当然、当選するのか気になる。

・・・分からんコトばっかり。

・・・「こんなんで、エエの?!」と想うコト、頻り。

地元の方から「あの子、来ぉへんけど・・・ど~なっとる?!」と聴けば、「地元をしっかり廻れ」と選挙カーの自由運航を変更。

個人演説会を開いても、いつもの見た事のある方ばかりで・・・

・・・正直、支持の広がりは感じられなかった。

事前の後援会勧誘活動が中途半端で、選挙ハガキを出せない・・・20年前の電話帳を引張り出してきて、生きていようが死んでいようがお構いナシに宛名を書いて、投票日の3日前に投函・・・正直、地元から文句が出そうで怖かった。

地元の住民だけは、選挙人名簿とかで事前に調べておくべきです。

・・・ハガキの枚数分でイイかな?!

候補者が若いので同級生として関わる方も若者ですが、名前が覚えられない・・・顔を憶えても、名前までは覚えられない・・・ナニしてるのかも分らない。

意外とコマリマセンでした・・・

・・・「お~い」と呼んで、反応した子が“手伝ってくれる子”です。

具体的な選挙対策も含め、一番大事かも知れない『票読み』を結局、ダレもしませんでした・・・不思議な選対です。

当落のボーダーは多少気にしてましたが、其れは投票率で変化してしまうので、候補者に確実に投票して戴ける数を積み上げる票読みは、必要です。

・・・分からないまま終ってしまったので、次回からです。

地元の現職議員はもとより、同世代の新人候補をライバル視するが故、感情としては「勝ちたい」とは思うのですが、奈何せん、票読みが出来ません。

ナントナク、地元の『批判票』は戴ける感じは有ったのですが、実績の無い新人候補者自身が地元に浸透したかは疑問もあります・・・候補者自身の努力の御蔭で『浮動票』をかなり戴いた感じはします。

フラフラ動くもので無く、基盤となる固定票が確立されると善いかとは存じます。

・・・時間は有るので、コツコツ積上げてもらいたい。

肝心の当落についてですが、箱が開くまで、誰も予想がつきません・・・元々、票読みしてませんから・・・いい加減なモンです。

結果が善かったからイイものの、コレを繰返すのは如何なモノかと存じます。

まぁ、裏切られるコト(今回は好い方に転んだ・・・)もあるし、善しとしましょう。

サテオキ、多治見市の大問題は、政策の善悪以前に『投票率の低さ』です・・・

無投票で市長選挙も無くなり、興味が薄れた感は有りますが、其れでも投票には行くべきです。

其の場で経歴を見て決めてもイイ・・・知合いに頼まれたからでもイイ・・・消去法でもイイ・・・ナンだったら、白票でもイイ。

約91,500人の有権者の内、ほぼ半分が選挙にイカナイ現実・・・

・・・其れでも、議員は決まってしまう。

よく「議員なんて、誰がなっても一緒」とか、「選挙の時だけ、イイコト言う」なんて聞きます・・・だったら、違いを見付けだせば善いのです・・・選挙の時だけイイコトを言う候補に入れずに、他の候補に投票すれば善い。

市民が選ぶ体裁上、立候補者はどんなに有能でも、其れを示す手立てが無ければ、神頼みするしかない。

乱暴な表現ですが、候補者側からすれば「誰がダレに入れたのかは判らないのだから、自分に投票してもらえるなら、多治見市民なら誰でもイイ」のです。

其の為の選挙です。

ホントに乱暴ですねぇ・・・でも、ホントです。

多治見市民の約2万人(未成年と市民権を剥奪された一部の方)には、選挙権さえありません・・・其の時点で、有権者は託されたともいえます・・・有権者は沢山の中から、誰か一人を選べば良い。

立候補者は、今回27名・・・『全員が同質』なんて、絶対に有り得ません。

同じ東濃地方の中津川市(有権者数:約6万5千人)では、投票率が70%を超えました・・・コレでも下がったそうです・・・定員21に立候補者が26名・・・中津川市の当選者最下位は、得票数が1,428・・・単純比較ですが、多治見市の当選者下位5位の得票数は、コレ以下です。

投票率も100%にはナラナイですが、仮に70%になれば、多治見市では得票数が1,500票以下だと、マズ落ちます・・・

・・・2,000票積み上げないと、安全圏には到達しません。

私は『市民の質』が多治見を創り上げると思っています・・・此処で謂う『質』とは、善ければより善い方向へ、悪ければ憂い、真剣に考える人の多さです。

頭の良し悪しで無く、しっかり自分で考え決める事が重要。

市民の質が上がれば、街には活気が出る・・・何も考えない人間が増えれば、無秩序になる。

不思議ですが、責任を果たさない人ほど、何故か文句を言う声だけはデカイ。

言いたい時に文句だけ言って、権利を放棄する人間は、義務も怠る・・・少なくとも、私はそう思ってます。

中国などと比較して「日本の民度は、高い」と自画自賛する方がチラホラ・・・

選挙に於いて投票行動を執らない市民の『民度』は、果して高いのでしょうか?!

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