2015年2月28日土曜日

訃報:Mr.Spock、逝去

アメリカのSFドラマシリーズ『スター・トレック』で異彩を放っていたMr.Spockを演じていたレナード・二モイさんが亡くなった。

ドラマ内での詳しい設定や、人物像は、例によってWikiで確認してね。

他の出演者は、船長以外覚えてナイ・・・

・・・強い印象が残ってるのは、Mr.スポックだけだな。

スター・トレックよりも『宇宙大作戦』と言った方が通りがイイかもねぇ・・・他にも仕事はしてただろうが、それしか知らないから仕方ない。

・・・正直、トガッタ耳以外は人間だ

映画よりもドラマの再放送を夕方に視ていた記憶しかナイ・・・

ホント、他の米ドラマ(・・・UFOだっけ?)とローテ-ションでヨク再放送をしていた。

83歳だったらしい・・・そりゃ、自分が小学生だった頃に大人だった人だから、それぐらいの年齢だなぁ・・・当たり前すぎる。

こうした類の方は懐かしいが、もう悲報でしか接しない・・・ちょっと刹那い。

2015年2月24日火曜日

『納税者』になる

二月のウチに『確定申告』してキタ・・・午前10時頃、意外に空いていた。

今年は新たに『第三表』なる申告書を記入&提出した・・・あまり書きたくないので、コレが何なのかは教えない。

・・・勝手に調べろ。

此の『第三表』は税務署に行かないとモラエナイので、窓口の脇の記入台にて、税務署員のレクチャーを受けながら書込んでイク・・・税務署員に見られてると緊張して間違え、記入用紙を一枚パーにした。

税務署員の印象は、警察官と似たり寄ったりだ。

確定申告期間にシーズン・インした税務署に行くと、玄関ホールで『申告に訪れたヒトを捌く係員』に必ず遭遇する・・・

・・・奴らは、誰一人として逃がさない。

既に申告書を記入済みで窓口に出すだけの人と、未記入のまま訪れて指導を受けながら記入する人を2階(指導部屋)に送る為に居るのだが、2階に送られると長い列に並ばされ、長い待ち時間がムダになる。

・・・去年並んでみたら、地獄だった。

地獄を知っているので、行きたくは無い・・・

・・・ので、係員には捕まったが、駄々をコネた。

昨日、相談窓口に電話して「窓口で記入してイイ」と周到な確認をしてから行った・・・見事、窓口脇の記入台をゲットした・・・が、『第三表』は初めてなので、全く書込めないでいた。

そしたら、昨日の相談電話で対応してくれた税務署員が来てくれた・・・コンナ事が起るとは予想を超えていた。

印象は確実に変わった・・・

正直、面倒だし、行きたい処ではナイのだが、意外に明るい。

税務署は、ただ対応の冷たい『暗いお役所』ではナイ・・・たぶん今時分だけだが、真摯な対応と、努めて明るく接して頂いた係員さんには感謝したい。

しかし、税金をキッチリ徴収されるコトに変わりはナイ。

2015年2月21日土曜日

残雪Ride

二週間ぶりに自転車に乗った・・・最近、方々で工事が行われており、其れに遭遇する度、旗振りのジイサマに止められた。

・・・道が善くなるのは有難いが、イラッとする。

東濃牧場(恵那)の入口まで登っていく途中、残雪が道の脇に寄せてあった。

坂を上る時は然程も気にしなかった路面も、下りは超ビビりな走行となる・・・ヒトの気配のしない山の中で滑ったら終わりだ。

まだ多少、命は惜しい・・・

・・・自転車が刺さるZッ!!

自転車に乗る間隔が開き過ぎて、終盤は脚がピクピクして危なかった・・・サボったツケだな・・・早く暖かくなってホシイものだ。

『寒さ』は口実になってしまう・・・

自分次第だが、心は折れ易い。

2015年2月10日火曜日

云いたかったコトは、だいたい云えずに終わる

中学に入ってサッカーを始めた・・・

始めた動機は、カッコ良さそうだし、近所の上級生がやっていて、結構強い学校だったからだ。

当然、自分はヘタクソで、小学校からやっている同級生の方が巧いワケで・・・三年生になってもタマに試合に出ては失敗し、チームに迷惑をかけた。

・・・いい笑いモノだったのだ。

練習はキツイし、周りの上達についていけてる気もしてなかったし、正直、高校に入っても続ける気はほぼ無かった。

それが何故に35歳まで続けて、未だに年二回のフットサルをしたりするのか?!

全ては高校に入ってスグ、一個上の中学の先輩に捕まったからだ・・・

その時分の先輩と謂う存在は“確実に自分より偉い人”で、挨拶や敬語を使うのも当り前で、友達では無かった。

中学の練習に比べてら、同じか其れ以下で、遊ぶコトにも慣れてなかったから、高校でも始めてしまえば、続けること自体は如何ってコトは無かった。

それが、卒業して何年も一緒にサッカーしてると、微妙な関係の変化がある・・・

・・・所謂『腐れ縁』と云われるやつだ。

好きとか嫌いという感情は超越し、ほぼ無い・・・先輩であっても、緊張もしない・・・「居るなぁ」と思っても、自分から寄ってイカナイ・・・無視もしないが、挨拶もしない。

そんなだから、先輩に小突かれる・・・それが挨拶になってしまう。

たいした会話もしない・・・話すコトが無い・・・それで居心地が悪くなるかと謂えば、そうでもナイ。

しばらくしたら「ほんじゃ、また」と言って、離れる・・・

そんな先輩と昨年の5月に会ったきり、音沙汰も無く・・・年の瀬も迫った頃に近所の他の先輩から「入院して、手術した」と聞いた。

「便りが無いのは、良い便り」・・・あれはウソだ。

聞いた限りでは相当な重症で、生きてるのが不思議なほどだった。

元々、体系が“太ってる”を通り越していたので“アブナイ予感”は以前からあったが、見慣れてるし、本人も痩せる気が無さそうなので、心配すると謂うよりは「そのウチ、倒れるよぉ」とおちょくった程度で放っておいた。

・・・家族では無いので、しょうがない。

まぁ、悪いコトほどヨク当るのだ。

程なく、「脚が壊死した」と聞いた時には、絶句した・・・最悪、切断・・・それでも命が繋がれば、善い方だ。

聞いた話しを膨らませ、「サッカーやってた人間の脚、切っちゃうんだぁ・・・」と勝手に想像して、居た堪れない気分になった。

・・・で、今朝、経過が快方に向うコト無く、逝ってしまった。

齢、48歳・・・もうちょっと生きてて欲しいかった。

「団次さん・・・あなたの所為で、ボクの人生がちょっと良い方に変わった気がします・・・あの時、強引に引き擦り込んでくれて、アリガトウ」

コンナ処に書いたって意味が無いコトは、百も承知だ・・・

・・・結局、ちゃんと云えずにお別れになってしまった。

生きてたら、絶対に云わない。

2015年2月3日火曜日

鋳込、始めました

久し振りに『本業』について投稿する・・・

一応、断っておくが、ちゃんと仕事はしている・・・ボチボチとやっている。

新年から状況が変化・・・昨年末でウチの商品の鋳込成型を請負ってくれていた外注さんが仕事を終えられ、年明けから自社の作業場で自ら行うコトとなった。

親の代から携わって頂いた外注のオジサンには、感謝の言葉しかナイ。

しかし、シンドイ事を自らが背負わないとイケナクなったのも事実・・・

以前から限定的にやってたのだが、急に仕事量が増加・・・でもって、在庫も尽きてきたので、やったコトも無いモノにも手を出さざるを得ない。

其の中でも『イワナの骨酒』の製造過程は、ちゃんと教わらないでやってミタたら、エライ目にあった・・・準備段階や途中の工程さえ分からなかった・・・外注のオジサンの苦労が身に沁みてワカッタ。

お陰で、自転車にも乗らずに電話もナイ作業場に籠って仕事をしているから、作業は進むが運動不足気味だ。

兎に角、『鋳込』はタイヘンなのだ。

コンナ不安定に立てるのだ・・・

作り手の工夫には、感動さえ覚える・・・自分で考えて石膏型を立てようとは思わない・・・意外性のオンパレード。

創意工夫とは、こう謂うコトなのだろう・・・

・・・細い部分がゲタ(棒)に挟まってる

ちょっと石膏型を削って、幅を合わせてある

また、作業場が狭いので、半分に分けて泥漿(原料の土を泥状にしたもの)を空けないと、作業は進まない。

慣れない作業は、疲れる。

・・・型から出して、穴を開けた状態

だいだい、一通りの失敗はした・・・型を落したり、泥を鋳込んだら型が開いたり・・・型が減って、またおカネが掛るコトとなる。

まぁ、命を取られたりはしないので、大したことではナイ・・・

コレを年間1,000個ばかり作るだけのコト・・・多少、気はオモイ。

・・・初めてにしては、上出来か?!

自分で作ってみると、以前の(=オジサンが作った)モノがどうして壊れたり切れたりするのかが判るようになって、手抜きは出来ない。

工程にも、いちいち納得できる・・・

コイツの形が、苦労を増やしている・・・既に流通してるから、諦めるしかない。

焼いて出てくるまでは油断ならぬが、此処まで出来れば、あとはいつもと同じ・・・外注も自社成型も違いはナイ。

・・・手間は掛るが、コレが仕事だ。

仕事なので、辞めるまではヤルしかナイのだ・・・要は、時間が掛ろうが、出来るまでお客さんを待たせればイイだけのコト・・・『注文生産』とは、申し渡してある。

其の裡、「またかぁ・・・」と諦めるに違いない。

お客もちゃんと十分な在庫持って商売すれば、迷惑は被らないワケで・・・

相手が欲しい物なら、少しぐらい待たせてもオトガメはナイだろう・・・かえって、有難味が増すのかもしれない。

完全な、驕りだな。

注:弊社のお取引先各位に於かれましては、諸般の事情により、的確な在庫確認と早めの発注が肝要かと存じます。