2021年3月11日木曜日

アノヒノデキゴト

なんかしらんが、書いてみようと思った・・・

暫く当ブログを離れていた間もいろいろあったが、気の滅入るようなことが多すぎて精神衛生上、今後もここに晒す事はない・・・たぶん、何を書こうが愚痴になる。

きょうはTVもラジオも『東日本大震災から10年追悼』で一色・・・この投稿もその日の自分の記憶を書く。

たぶん同じ様なことを毎回書いてる・・・でも、また書く。

あの日、工業組合の青年部で九州は鹿児島にて、焼酎の酒蔵『八千代伝』を訪問して焼酎の原酒の試飲なんぞで浮れていた。

そんな暢気な、午後2時46分・・・

急に皆が「地震があった」とザワツキ始めたが、留守番してる同行者の家族らから岐阜県内では震度4とか3とかで被害もなく、次への移動の為バスに乗りフェリーに乗る直前に「フェリー止まるかも⁈」の情報が入って「ハァ?」となってるところでギリ乗船・・・この便が本日の最終便となった。

一応、安堵し客室に入ってテレビを覗くと仙台空港が津波に呑まれてANAの飛行機が流されていた・・・その時点で想像を絶していたが、その後次々と情報が更新される度に想像を上回る被害が上書きされて『異次元』だった。

なんとか無難に鹿児島港に到着してもピンチは続き、本日の宿がある指宿への道中「海沿いの国道閉鎖」の報が入りつつも、此処もギリセーフで指宿まで到達。

宿の露天風呂で紋々の入った兄様たち(他人)と湯に浸かり、部屋でのTVは津波一色・・・3月で「今年、終った」と悟って諦める次第。

不謹慎だが、笑いさえ漏れた。

その日みたどの映像も現実離れしていたし、当事者で無い分、余計に現実を受容れ難いものがあった。

そもそも、それまでの自分には『津波が起こる』なんて御伽噺だった。

夜の指宿港には津波を警戒しているであろう消防車の回転灯が防波堤上で赤々と点滅し、「アイツらバカじゃね? ほんとに来ると想ってねぇだろ?」と誹っていた。

そんなだから、指宿での最大のイベント『浜辺で砂風呂』は営業中止の憂き目・・・余りの口惜しさに平時なら砂掛けBBaに掛けられたであろう湯気の立ち昇る砂浜を散歩し、下がる気分に拍車をかけていた。

未だに砂風呂には入れていない・・・あれが『人生最後の砂風呂チャンス』だったかもしれない。

また行く事があるのだろうか、いやない(漢詩的反語)。

一応、近場なのかどうなのか、大分の別府に砂風呂があるとの情報はキャッチしている・・・(しかし、遠いなぁ)

また次の日は九州の記念すべき『九州新幹線の開業日』だった・・・盛大に開催されるはずの開業イベントは中止になった・・・準備も無駄・・・コレが世に謂う『自粛』の始まりである。

ウソです・・・自粛は昭和天皇崩御の時もありました。

そして東日本大震災のクライマックスと云うか最大の悲劇を巻き起こす『福島第一原発・1号機(12日)3号機(14日)4号機(15日)と立続けの水素爆発』で周辺地域が被爆・・・住民らは避難生活を余儀なくされ、福島県に甚大な二次被害が発生する。

その最中も旅行を淡々と継続し、無事というか恥ずかしながら地元に帰還。

・・・が、この10年後の『コロナ禍』を誰が想像したであろう?

たぶん、いろいろ存続の危機だ。

この御時世、どこもそうなのだ。

時短要請に応じた協力金ガッポリの飲食店以外は、青色吐息・・・なんなら、ワシもこのドサクサに紛れて仕事畳みたいとさえ思ふ。

お金さえあれば・・・

そう、世の中金さえあれば人生の問題の8割方解決する。

しかし、金で解決した残りが悩みの100%になる転換・・・解決しようのない悩みには、諦めるが肝要・・・まだ10年なのか、もう10年なのか、感じ方は個々の状況によって違うが『人生の障害物競走』からは逃れようがない。

未だ復興も斑模様・・・地域によっては街が息を吹き返したところもあるようだが、福島の原発周辺は立入が認められず、除染後の帰還も叶わない。

人間は時を戻せない・・・10年経てば、10年歳を食う。

戻っても仕事がなければ生活できない、生活できない場所には戻れない。

爆発した原発の廃炉作業も手付かず状態が続いている。

次の10年は自分が生きているかも不確定・・・ボケて記憶がないやも知れん。

なんか感傷的になって久しぶりに長文を書いたが、Googleの変換がバカで編集が非常に面倒臭い。

また当分、休む・・・

書く時間があったら、其の分寝たい。

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