2017年3月20日月曜日

大敗からの再出発

本日、我が母校が第89回・春の選抜高等学校野球大会に21世紀枠として出場し、近畿地区代表の報徳学園に21x0で敗れました。

正直、実力差もあった様に見受けられましたし、初めての大舞台に緊張してしまった感はありますが・・・其れはもう、見事な敗けっプリに文句の付け様もなく、只々「ようやり貫いた」としか言い様が御座いません。

・・・想像するに、相当に苦しかったでしょう。

出場が決まってからの2ヵ月ほど、「あゝや、こうや」と多治見市のみならず隣町までの其処ら中で話されておりました事を考えると、其の存在と事の大きさに改めて気付かされます。

負けた結果に対して、やってる本人たちが一番悔しいと思います。

しかしながら、何ら恥じる事は無い。

結果はどうあれ、彼等には感謝しかない。

僕自身は、何の苦もなく、一生分に事欠かない話しのネタを戴いたと思えば、丸儲けであります。

また新たな目標が出来たと考えれば、今日はその第一歩であった訳で、其の困難極まる目標に向って踏み出してほしい。

僕が言わなくても、彼等はそうするでしょう・・・

再び彼の地に立つには、勝ち抜かなければならん事を彼等は知ってます。

ソコソコ真面目な学校ゆえ、“リアル・スクールウォーズ的な展開”には成り難いとは存じますが・・・今年の夏なのか、また数十年先なのか・・・此れまで同様、諦めることが無く、もう一度、挑戦者として彼の地に立って白球を追う事が出来たなら、より一入の感動を呼起す事でしょう。

それにしても、市役所の高木さんの経歴を初めて知る機会となりました・・・アノ高木さんが“監督の高木さん”に結びつかなかった。

・・・市民プールのバイト以来ですので、お互い歳取ったもんです。

様々な因果が有るもので、多治見高校は私の父・周作の母校でもあります。

周作が『共栄クラブ』という少年野球チームを創り、当初より地域や御父兄の方々の御協力を得て、周作が退きました後も皆様に引継いで戴き、尚且つ、今回の出場選手中に同クラブの出身選手がおり、その奮闘振りを周作は喜んでいる事でしょう。

・・・健在であっらなら、甲子園に行ってたでしょうね。

亡き父に成代って、皆様に御礼申し上げます。

2017年3月19日日曜日

矢作ダムRide

予報は気温16℃・・・暖かくなるのはイイが、服装に迷うし、未だ克服できていないヒノキの花粉が飛び始めてシンドイ。

サボってたのもあって三週間も乗ってナイから、我慢してイク。

今週のサザエさんは、年始から体重が3㎏増量、練習不足、未踏地(路)を走るの三本立てデス。

・・・撃沈、必至。

東芝よりも自分のコトで精一杯。



小渡のコンビニに到着した時点でソコソコ消耗していたので回避しようと考えた矢作ダムに何故か行ってしまった。

ダムの上は恐ろしく風が強く、吹っ飛ばされそうだった。

高いトコロに自ら出向き、オナカイタイ・・・後悔、先に立たず・・・ダムを降りてくる道は下りなのだが、向い風が強くて速度は20km/hしか出ない・・・下りで漕ぐって、条件的に最悪。

ナニが祟ったか、ずぅ~っと強めの向い風・・・気象協会を恨む。

明智への道中も向い風だし、上りだし、脚をヒクヒクさせながらの登坂・・・

矢作ダムから明智までの距離が想像以上に長く、ホントに止めたくなって、輪行袋もないのに明智からナントカ漕がずに帰る方法は無いかと出来もしない事を考えながら漕ぐ・・・コノ時分の恒例・・・ゴミ袋で包むコトはホントに考えた・・・鉄道の誘惑は、強い。

気分的には遭難者・・・

本日は始終、自己との葛藤。

拗らせるだけだが、たまたま通ったパトカーに本気で乗せてホシカッタ。

見事なまでの大撃沈で、疲労困憊・・・無事で帰れて良かったと思う。

2017年3月11日土曜日

鮮明な記憶

首相はコメント出すこと止めたらしいですが、私はあの日への悔恨を持ち続けているので、少し書きます。

時間が進むと記憶が劣化するのでは、後退しておるようで、哀しい。

復興事業が遅れてたり、其の地に残った人々が新築のローンや店舗の建替えで借金地獄に陥って新たな不安が発生しておる。

被災した後にカネが追討ちをかける。

・・・見聞きするだけで気の毒だが、肩代わりは出来ん。

話しは変わるが、6年も経つと当たり前だが、其の年に生まれた子らが今年の4月にはもう小学生になる。

当たり前だが、其の子らが親になる頃には震災の体験者は半減するだろう・・・ヒトは老いて、死ぬからね・・・自分の記憶も薄れていくだろうし、こんなコトも書かなくなるだろう。

・・・TVで視るぐらいになっちまうかな?!

被災地に住む方々は記憶から来る“再来の恐怖”に耐えながら避難訓練などの現実的な対応を続けるだろうけど、そうでない自分らは何処か他人事のように「大変だったよねぇ~」なんて口にしてしまうだろう。

日々に追われながらも、此の日は必ずやって来る。

また地震も起こるんだろう・・・

高く積み上げられた堤防と新しい街を作る盛土をみて、「ホントにコレで防げんのか?」と思ったりもするが、また起こらないと答えはワカラン。

そして、必ず津波はまた起こる・・・

其の時は「あ゛ぁ~、コワかった」で済んでほしい。

偉い政治家や御役人様、原発事故に起因した陰湿ないじめ(=ほぼ犯罪)を生み失敗した政策をいつまで続けるんでしょうか?

答えて戴きたい。